up.2011.05.24         

     
     

 

     
     

     
     

 

         
     

 

     
       −  東急バスの営業所・車輛  −      
     

 

     
     

営業所


営業所は、都内に7か所、神奈川県内に5か所があり、各営業所とも敷地内または直近に車庫を有している。数だけを見れば都内のほうが多いが、多くのニュータウンを抱える神奈川県内のほうが、1営業所あたりの規模が大きい。東急バスには、支所、分車庫等は存在せず、規模の小さい車庫も営業所として独立している。以下、所名の後に掲げるアルファベットは、所属車両の判別等のために設けられている各営業所の略記号である。
淡島営業所 (A) 東京都世田谷区三宿二丁目39-1
下馬営業所 (SI) 東京都世田谷区下馬一丁目3-2
弦巻営業所 (T) 東京都世田谷区弦巻四丁目29-23
瀬田営業所 (S) 東京都世田谷区上野毛四丁目38-3
目黒営業所 (M) 東京都目黒区目黒本町一丁目14-18
荏原営業所 (E) 東京都品川区二葉四丁目27-1
池上営業所 (I) 東京都大田区中央七丁目1-1
高津営業所 (TA) 川崎市高津区溝口五丁目14-1
新羽営業所 (NI) 横浜市港北区新羽町1927
青葉台営業所 (AO) 横浜市青葉区さつきが丘7
虹が丘営業所 (NJ) 川崎市麻生区王禅寺963-8
東山田営業所 (H) 横浜市都筑区東山田四丁目35-1


廃止営業所
不動前営業所 (3100)
不動前営業所は、東横乗合をルーツとする中目黒営業所の移転により1940年7月9日に開設された。所在地は、山手通り沿いの東京都目黒区下目黒二丁目である。1969年5月7日、大橋営業所の開設とともに廃止され、跡地は東名急行バスの車庫として使われたのち、現在は東急不動前ビルが建っている。
中延営業所 (N)
都営バスと共管路線である雪が谷線(丸子橋 - 東京駅八重洲口、東90)をはじめ、上池上循環線(大森駅 - 夫婦坂 - 上池上 - 池上駅 - 大森駅、森06・07)等の中原街道周辺路線を受け持っていた営業所である。戦前の池上電気鉄道の乗合自動車をルーツとする営業所であるが、「東急バス10年のあゆみ」によれば、開設日は1947年6月25日となっている。所在地は、品川区旗の台一丁目の中原街道沿いで、1981年6月21日に廃止され、跡地には現在、東急グループの他社がフランチャイズとして参加しているTSUTAYA旗の台店が建っている。
駒沢営業所 (K)
駒沢営業所は、世田谷区駒沢四丁目の現・駒沢公園西口停留所前に置かれた営業所で、東京オリンピック輸送を主な目的として1964年10月1日に開設された。後に宿91(新宿駅 - 大森駅)やコーチ自由が丘線等を受け持ったのち、1984年3月16日に廃止となっている。跡地は折返所として使われたのち、現在は他企業に賃貸している。
日吉営業所 (H)
神奈川県内2番目の営業所として、1962年4月1日に港北区日吉四丁目に開設。日吉駅再開発に伴い1993年11月1日に廃止され、跡地は折返所およびニッポンレンタカーの営業所となっている。
大橋営業所 (O)
東急玉川線(玉電)の廃止に伴い代替輸送を受け持つため、1969年5月7日、玉川線大橋車庫跡地(東京都目黒区大橋一丁目)に開設された。2002年9月16日に廃止され、跡地は首都高速道路中央環状新宿線の大橋ジャンクションになった。
川崎営業所 (KA)
不動前営業所同様東横乗合をルーツとする溝ノ口営業所からの新丸子を経て二度目の移転で1940年6月12日に開設された営業所。所在地は神奈川県川崎市中原区小杉御殿町。2010年10月1日廃止。跡地は小杉折返所になった。
営業所の変遷 [編集]
1939年の目蒲・東横合併による新・東京横浜電鉄成立時において、営業所は東京13箇所、神奈川県2箇所の計15箇所があった。すなわち、エビス、代々木、中目黒、中野、大正、世田谷、淡島、新丸子、神奈川(以上、旧東横より継承)、池上、中延、神明、大森、下目黒、芝浦(以上目蒲より継続)である。その後、1940年に運用の効率化を図るべく、下目黒営業所(権之輔坂)を目黒営業所(清水)に、中目黒営業所を不動前営業所に、新丸子営業所を小杉営業所に、それぞれ移転・改称した。また同年には、代々木営業所も三角橋から代々木本町へ移転している。1942年に山手線内の路線を東京都に譲渡した際には、芝浦営業所が廃止され、他の営業所も編成替えが行われた。
終戦を経て、1948年にはいわゆる大東急が解体された。この際、旧・京浜電気鉄道、京王電気軌道のバス事業がそれぞれ京浜急行電鉄、京王帝都電鉄に引き継がれたのに加え、両社との新たなエリア境界を京王線、東海道線とすることが定められ、両線の外側を走る路線も両社に譲渡された。これに伴い、これらの地域を担当していた中野、大正、大森の各営業所がそれぞれ譲渡、または廃止された。
さらに、戦中・戦後の混乱の中で、エビス、代々木、世田谷、神奈川の各営業所が休廃止され、それぞれ近隣の営業所に統合された。その結果、淡島、目黒、不動前、中延、神明、池上、川崎(小杉から改称)の7営業所体制で再スタートが切られることとなった。
戦後は、休止路線の復旧や新線の開通が進められ、昭和30年代から営業所数は再び増加するようになる。世田谷区内では、1956年に瀬田営業所が開設され、多摩川流域を走る路線が移管された。続いて1959年には弦巻営業所が開設され、世田谷通りの路線などが移管された。1964年には、東京オリンピックの輸送等に対応するため、駒沢営業所が開設され、神奈川県内でも路線数の増加に伴い、1962年に日吉営業所、高津営業所が相次いで新設されている。
1966年には田園都市線が長津田へと延伸されたのを受け、新羽営業所が開設され、延伸後の各駅を結ぶ路線の運行を開始した。1969年に玉川線が廃止されると、その大橋車庫跡地に大橋営業所が開設され、玉川線代替路線の運行を開始するとともに、同時に廃止された不動前営業所の路線を引き継いだ。
昭和40年代から50年代にかけて、多摩田園都市ではニュータウンと田園都市線各駅を結ぶ路線が急速に発達した。これらの多くは、高津営業所が長い回送距離を伴って担当しており、非効率であったため、田園都市内の新たな拠点として、1981年に青葉台営業所が、1986年に虹が丘営業所が開設された。なお、都内では同時期に路線の整理が行われ、青葉台営業所開設と引き換えに中延営業所が、1984年に駒沢営業所が廃止されている。
また、1993年には日吉営業所が廃止され、東山田営業所が新設された。これは、日吉営業所の敷地が東横線の線増工事のため収容されることとなったのに加え、輸送拠点を宅地造成の進む港北ニュータウン側に移したほうが有利との判断からである。
その後、1999年に全線の運行を東急トランセに委託する下馬営業所が開設され、2002年に大橋営業所が廃止された。
2010年に川崎営業所が廃止され、現在の12の営業所体制になる。



車両
車両は、UDトラックス(旧・日産ディーゼル)、日野自動車、いすゞ自動車、三菱ふそうトラック・バスの4メーカーより導入している。車両規模は2009年現在、930両強である。

路線車 
一般路線車は、ホイールベース5メートル未満のいわゆる短尺車が多くを占めているが、田園都市線沿線の営業所には、大量の通勤・通学輸送に対応した長尺車も配置されており、中にはオールロングシートとなった車両もある。このほか、狭隘路線用の中型車・小型車、貸切輸送や高速走行に適したロマンス車、東急コーチ専用車両などがある。いずれも、ワンステップ車・ノンステップ車の導入により、低床化が進められているところである。都内の営業所で導入される新車は一部を除き全てノンステップ車であるのに対し、県内の営業所で導入される新車はワンステップ車が中心であり、特に虹が丘営業所の場合2010年までノンステップ車が全く導入されていなかった。また、環境に配慮したハイブリッド車、CNG(圧縮天然ガス)車も使用されているほか、高速車、企業・学校輸送用の特定車、観光車などが少数ある。
一般路線車の塗装は、銀色に赤色の帯を配するデザインが基本である。このコンセプトは長らく変わっておらず、昭和20年代にはすでに銀と赤を基調とした塗装が施されていた。初期の車両には車体裾部に水色、赤帯上下に黄色が配されていたが、1968年に塗装作業の簡略化のため、赤帯を窓下に1本回すだけのシンプルなデザインとなり、東急のステンレス電車のイメージとも一致するこの銀と赤2色塗りの時代が長く続くこととなった。
その後、1985年に目黒通りに導入された「東急バス新交通システム」対応車(109車)、1986年に導入された初代ロマンス車をきっかけとして、再び塗装の一部にアクセントを加えた車両が導入されるようになった。これらの車両は幹線路線を走る機会の多い優等車両であることから、設備の向上だけでなく外観においても差別化が図られており、ロマンス車には金色が、109車には窓上と裾部に赤帯が、ノンステップ車には側面中ドア付近の裾と窓上に青帯がそれぞれ追加された。このような塗装上の区別は、1997年より導入されているノンステップ車・ワンステップ車においても同じように行われているが、現在はこれらの車両のみが投入されており、銀色に赤帯のみの車両は一部を除き投入されていない。 また、東急バスでは全ての車内広告を一定期間1つの顧客に統一する車両を「TOQ-BOX」として運行している。現在は2002年度導入車の一部がTOQ-BOXとして運用されており、過去には1993年度導入車、1987年度導入車のいずれも一部において運用例がある。なお、2008年6月ごろから安全対策のため路線車の後部に黄色の蛍光テープを貼り付け、2009年から全車を対象にドライブレコーダーが装備されるようになった。
高津営業所にドライブレコーダー・乗務員運転動作測定・車内アナウンス測定・エコドライブ測定機能を装備したTA8730(日産ディーゼルPKG-RA274KAN改ノンステップ車)が安全運転訓練車として在籍している(白ナンバーのため、営業路線に入ることはない)。
近年のリーマン・ショックに端を発する景気後退の影響から、ディーゼル規制によって車検が通らなくなる1997年度車(1600番台)の67台が置き換え対象であるにもかかわらず、2009年度新車(900番台)は、HOTほっとTOKYU7月号の公式発表で30台と発表されている。そのため2009年度から都内を中心に一部ダイヤで減便を行っており、減便で余剰となった車両を置き換え対象車のある営業所へ転属させ、経年車の置き換えに充当している。2010年度も新車(1000番台)はHOTほっとTOKYU7月号の公式発表で28台と発表されている。

日野製ワンロマ車(AO1836)
 

三菱ふそう製ワンロマ車(AO574)
 

三菱製「109車」(M875:廃車)
 

いすゞ製3扉車(NJ1263:廃車)
 

TOQ-BOX号(T365・現在は一般色)
 

ノンステップ車(国旗付)
(S7707)
 

高津の教習車(TA1977・現在は路線用に復帰)
高速車・貸切車 
高速車は銀色にマゼンタとピンクの帯が斜めに入り、主に空港リムジンバスとして運行されることからTOKYU Limousineのロゴが加わる。このデザインはかつて運行していた夜行高速バス専用車「ミルキーウェイ」で採用されていたものがベースで、この場合は帯が青と水色だった。三菱ふそうエアロバス・エアロエースが中心だが、僅かに日野セレガが加わる。運行初期には貸切からの転用車や他社からの中古車もあった。
貸切車は白地に赤と金帯を採用していたが、1980年代後半のスーパーハイデッカー"SSマーキュリー109"(三菱ふそうエアロクィーン)投入後は現在の白地に青・赤・橙の帯となった。現在は観光貸切バスの運行は東急トランセが行っている。

     
             
             
     

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